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概要
1968年7月11日に同年の8月1日号として創刊。創刊時は月2回(第2・第4木曜日)発売、1969年10月から週刊化された。毎週火曜日発売、2008年現在は毎週月曜日[1]発売。数多くのヒット作を輩出、日本を代表する漫画雑誌として長らく君臨し、「ジャンプ王国」と呼ばれた。発行部数が最高653万部という週刊誌として空前の記録を残し、出版業界からは化け物と怖れられた。また、短期間で発行部数を半減させ、その凋落ぶりが社会現象となった。

シンボルマークは海賊マーク(ジャンプパイレーツ)。雑誌キーワードは「友情」「努力」「勝利」とされている。

創刊当時は後発の少年漫画誌だったため、当時の人気漫画家を確保する事が出来なかった。そこで、窮余の一策として連載陣のほとんど全てを専属契約の新人で揃えるという異例の施策が採られる事となる。結果としてこれが有力新人の発掘と専属契約による拘束力に繋がりジャンプ躍進の原動力となった。週刊少年漫画雑誌で最大部数を誇るようになった現在でも、この方針は継承されている。創刊当時、ライバル誌が子供向け総合誌の体裁を採っていた中、初の漫画専門誌として登場し人気を博した。この成功を受け、他誌も漫画専門誌へと移行することとなった。

講談社の『週刊少年マガジン』や、秋田書店の『週刊少年チャンピオン』で掲載されているような表紙および巻頭でのスポーツ選手やアイドルのグラビアは、1970年代後半から1980年代前半と1990年代後半には掲載されたが、現在は掲載されていない(スポーツ選手の特集やインタビュー記事自体は2色の情報ページなどで現在でも行われることがある)。

現在、同誌の読者構成は小中学生が中心であり、『週刊少年マガジン』や小学館の『週刊少年サンデー』、秋田書店の『週刊少年チャンピオン』よりも低年齢寄りである[2]。


[編集] 歴史

[編集] 1968年(創刊)〜1970年代前半
1968年創刊。創刊号の発行部数は10万5000部。「ハレンチ学園」・「男一匹ガキ大将」(1968年 -)、「ど根性ガエル」・「トイレット博士」(1970年 -)、「侍ジャイアンツ」・「荒野の少年イサム」(1971年 -)、「アストロ球団」・「マジンガーZ」(1972年 -)、「包丁人味平」・「プレイボール」(1973年 -)等がヒット。1971年、発行部数が100万部を突破。 1973年8月に『週刊少年マガジン』を抜いて雑誌発行部数で首位。


[編集] 1970年代後半
ギャグ漫画分野の強化に乗り出す。「1・2のアッホ!!」(1975年 -)、「東大一直線」(1976年 -)、「すすめ!!パイレーツ」(1977年 -)、「サーキットの狼」・「ドーベルマン刑事」(1975年 -)、「リングにかけろ」(1977年 -)、「コブラ」(1978年)、「キン肉マン」(1979年 -)がヒット。「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(1976年 -)。少年漫画雑誌中、最長の連載記録を更新中。1978年、発行部数が200万部を突破。


[編集] 1980年代前半
1980年、発行部数が300万部を突破。少女、女性キャラクターに重きを置いた作品が多く登場する。「Dr.スランプ」・「ハイスクール!奇面組(当時は「3年奇面組」)」(1980年 -)、「ストップ!! ひばりくん!」・「キャッツ♥アイ」(1981年 -)、「キックオフ」(1982年 -)、 「ウイングマン」(1983年 -)、「きまぐれオレンジ☆ロード」(1984年 -)「キャプテン翼」(1981年 -)、「ブラック・エンジェルズ」(1981年 -)、「風魔の小次郎」・「よろしくメカドック」(1982年)、「銀牙 -流れ星 銀-」(1983年)等がヒット。 「北斗の拳」(1983年 -)。大ヒットとなり、発行部数が50万部上昇。この時期から漫画雑誌としての側面が強くなり、アイドル・スポーツ選手などのグラビアは掲載されなくなった。1984年1・2号より、創刊以来使用されていた誌名ロゴを一新する。

「ドラゴンボール」(1984年 -)。創刊以来最大のヒット。このころより「ジャンプ王国」「お化け雑誌」と呼ばれるようになる。毎週発売日の開店直後に完売する。子供に頼まれた母親が買いに行くも手に入らず、出版社に多数の苦情が寄せられるようになる。


[編集] 1980年代後半
1985年、発行部数が400万部を突破。「魁!!男塾」・「ついでにとんちんかん」・「シティーハンター」(1985年 -)、「聖闘士星矢」・「県立海空高校野球部員山下たろーくん」(1986年 -)、「ジョジョの奇妙な冒険」・「燃える!お兄さん」(1987年 -)、「BASTARD!! -暗黒の破壊神-」・「ろくでなしBLUES」・「ジャングルの王者ターちゃん」・「まじかる☆タルるートくん」(1988年 -)、「ドラゴンクエスト ダイの大冒険」・「電影少女」(1989年)などがヒット。

1989年、発行部数が500万部を突破。


[編集] 1990年代前半
「SLAM DUNK」・「幽☆遊☆白書」(1990年 -)。ともに「ドラゴンボール」に並ぶヒット。1991年、発行部数が600万部を突破。週刊誌が全国紙の発行部数を抜いたとして一般メディアも報道する。人気作品の連載を無理に継続させたため「マンネリ化」に落ち入り、「聖闘士星矢」や「魁!!男塾」などの連載が打ち切られる。集英社内の体制変化により編集者の異動が増え、一部の漫画家から編集部との意思疎通に不満が出る。「花の慶次」・「珍遊記 -太郎とゆかいな仲間たち-」(1990年 -)、「BØY」(1992年 -)「地獄先生ぬ〜べ〜」・「NINKU -忍空-」・「とっても!ラッキーマン」(1993年 -)「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」・「みどりのマキバオー」(1994年 -)など。


[編集] 1990年代後半
発行部数はさらに伸び続け1995年3-4号で653万部の最高記録を達成する。この年の25号で「ドラゴンボール」が連載終了。直後に発行部数が減少に転ずる。1996年27号で「SLAM DUNK」が連載終了。発行部数急落に拍車がかかる。 「遊☆戯☆王」・「封神演義」(1996年 -)「I"s」(1997年 -)。「セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん」(1995年 -)「幕張」(1996年 -)「花さか天使テンテンくん」・「世紀末リーダー伝たけし!」(1997年 -)のような特異な学園コメディギャグ漫画も話題となった。 1996年52号で「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が連載1000回を達成する。この時期は長年行われていなかったアイドルグラビアの掲載と『愛読者賞』の復活(企画に参加した連載作家のほとんどが連載を休載するなどあり1回で終了)、13年間親しまれた誌名ロゴの変更、バトル漫画から学園コメディ漫画の活発連載、経済面考慮における表紙のギミック廃止などの試行錯誤が続いた。


[編集] 1990年代末期
1995年から始まった発行部数減少に歯止めがかからず、1997年までに約230万部減少。10年をかけて伸ばした部数が2年で逆戻りし、1997年49号で週刊少年マガジンに発行部数を抜かれる。「ONE PIECE」(1997年 -)「HUNTER×HUNTER」(1998年 -)「NARUTO -ナルト-」(1999年 -)と王道的な少年漫画が新たな看板作品として登場。これらの作品は2000年代のジャンプの牽引役となり、2008年現在も連載が続いている。その他に「ROOKIES」・「ホイッスル!」・「シャーマンキング」・「ヒカルの碁」・「テニスの王子様」などもヒットし、部数の降下傾向は続くものの、週刊少年マガジンについで2位は維持。


[編集] 2000年代前半以降
「BLACK CAT」・「ピューと吹く!ジャガー」(2000年 -)「ボボボーボ・ボーボボ」・「BLEACH」・「Mr.FULLSWING」(2001年 -)「いちご100%」・「アイシールド21」(2002年 -)「DEATH NOTE」(2004年 -)など人気作を輩出。特に「DEATH NOTE」は、アクションがほとんどなく台詞重視で話が進むなど、内容・表現ともに従来の「少年ジャンプ」の傾向とはかけ離れたものであったにも関わらず、単行本の初版100万部最速売り上げ記録を作り、実写映画化・アニメ化なども行われるヒット作となった。その後も「銀魂」・「家庭教師ヒットマンREBORN!」・「D.Gray-man」(2004年 -)「魔人探偵脳噛ネウロ」(2005年-)「To LOVEる -とらぶる-」(2006年 -)がアニメ化されており、連載作品の単行本売り上げは好調に推移している。

漫画業界全体の発行部数が落ち込む中、2002年に週刊少年マガジンを抜いて再び漫画誌の発行部数1位となる。この時期から誌面を越えた活動が多く見られるようになる。1998年から開設した公式サイト「POP WEB JUMP」が拡張を続け「デジタルマンガ部門」が新設、サイト上で漫画を連載させるなど新しい試みが行われた。2000年からはジャンプフェスタが開催され、イベント限定グッズの販売や連載作家を招待するなどして盛況を続けている。この頃より再び、アニメ化された作品が長期連載になる傾向が強くなる。


[編集] 連載作品
週刊少年ジャンプ連載作品の一覧を参照。


[編集] 発行部数
(判明分のみ)

1968年創刊号 10万5000部
1969年 最高24万部
1971年新年号 115万8000部
1974年 最高165万部
1977年新年号 188万部
1978年新年号 210万部
1979年新年号 280万部
1980年新年号 304万5000部
1981年新年号 308万部
1982年 342万部(年間平均)
1983年 371万部(年間平均)
1984年 390万部(年間平均)
1985年4-5号 403万部 37号 405万部 年間平均 450万部
1986年5号 435万5000部
1987年5号 450万部
1988年5号 485万部
1989年3-4号 500万部
1990年5号 530万部 21-22号 503万部 37号 520万部
1991年3-4号 602万部 21-22号 585万部 36-37号 615万部
1992年3-4号 618万部
1993年3-4号 638万部 36-37号 643万部
1994年3-4号 648万部 36-37号 650万部
1995年3-4号 653万部 歴代最高部数を記録。
1995年25号 「ドラゴンボール」終了。部数減少に転じる。
1996年新年号 588万部
1996年27号 「SLAM DUNK」終了。部数低下に拍車が掛かる。
1997年 405万部(年間平均)
1997年11月週刊少年マガジンに発行部数で抜かれる。
1998年 360万部(年間平均)
1999年 363万部(年間平均)
2000年 363万部(年間平均)
2001年 340万部(年間平均)
2002年 320万部(年間平均)
2002年8月再び『週刊少年マガジン』の急降下で首位奪還。
2003年 300万部(年間平均)
2004年 300万部(年間平均)
2005年 295万部(年間平均)
2005年も雑誌発行部数は低迷するが、単行本の売れ行きは過去最高を記録。
2006年 2,953,750部(一月下記サイトにて確認)
2007年3月 2,839,792部
2008年1月 2,778,750部(社団法人日本雑誌協会)

[編集] 価格の変遷
()は特別定価、あるいはサービス定価。消費税導入以降は税込み価格。

創刊時 - 1970年夏頃? 90円(100円?)
1970年秋頃? - 1971年秋頃? 80円(不明)
1971年冬頃? - 1973年春頃? 90円(100円)
1973年夏頃? - 1973年11月 100円(不明)
(1973年11月16日 第一次オイルショックに伴う「石油緊急対策要綱」を閣議決定)
1973年12月 - 1976年春頃? 130円(150円)
1976年夏頃? - 1980年春頃? 150円(170円)
1980年夏頃? - 1989年3月 170円(180円、または190円)
1989年4月 - 1990年8月 180円(190円)
(1989年4月1日に消費税3%が導入された)
1990年9月 - 1995年12月 190円(200円、または210円)
1996年1月 - 1997年3月 200円(210円、または220円)
1997年4月 - 1998年6月? 210円(220円)
(1997年4月1日に消費税税率が5%に変更)
1998年7月? - 2004年4月 220円(230円)
2004年5月 - 2007年9月現在 230円(240円、または250円)

[編集] 歴代の編集長
初代:長野規(1968年 - 1974年)
2代:中野祐介(1974年 - 1978年)
3代:西村繁男(1978年 - 1986年)
4代:後藤広喜(1986年 - 1993年)
5代:堀江信彦(1993年 - 1996年)
6代:鳥嶋和彦(1996年 - 2001年)
7代:高橋俊昌(2001年 - 2003年)
8代:茨木政彦(2003年 - 2008年)
9代:佐々木尚(2008年 - 現在)

[編集] 特徴
以下に挙げられている新人契約制度やアンケートシステムに関する詳細は、『少年ジャンプ』草創期に編集長を務めた西村繁男の著した書籍「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」内に詳しい記述がある。


[編集] 新人の登用と専属契約制度
創刊以来新人作家を積極的に登用しており、新人のチャンスが多い雑誌であるといえる一方、本誌でデビューした作家は必ず集英社と専属契約を結ぶ必要があり、連載が短期に終わった場合も他社で仕事を行うことができない(各作品の欄外に、「○○先生の漫画が読めるのはジャンプだけ!」などと書いてあることに、その一端が受け取れる)。

この点については新人を「飼い殺し」にしているとの批判も根強く、作家の中でも井上雄彦のように弁護士を立てて対抗した例もあれば[要出典]、車田正美、八神健、木多康昭、鈴木央など集英社から他社へと専属を変更した例もある。

また1960 - 1970年代にジャンプに連載を持っていた小室孝太郎は編集部の都合で人気のあった連載が打ち切られた上、この制度のために他誌で仕事ができず、作品発表の場が持てなかったことをインタビューにて語っている[3]。

本誌3代目編集長であった西村繁男も集英社の退社後に出版した自著で「漫画家に対する執筆保証の項目がない他、契約期間中は他誌との執筆交渉すらできないという点で、極めて編集部に有利な契約である」と、問題が存在することを認める発言をしている[4]。

なお、この「専属契約制」はジャンプが一から育てた初の漫画家ともいえる永井豪が「ハレンチ学園」の連載の傍ら他誌での連載を開始したことに危機感を覚えた当時の編集長の長野規が発案したものと言われている。ちなみに、同制度の適用第1号となったのは本宮ひろ志である。


[編集] アンケート至上主義
一般に漫画雑誌では読者アンケートを参考にして編集の方針を定めることが多いが、本誌では特にその傾向が強く、人気の低下した連載作品はすぐに連載打ち切りの対象にされる[5]。

この「アンケート至上主義」体制は「アストロ球団」を連載中の中島徳博の「大御所というだけで人気もない漫画が載っているのはおかしい。アンケートの結果を1週で出すようにして、サバイバルにせよ」という提案が発端となっている。ただし、その中島自身「アストロ球団」以後はアンケート結果が芳しくなく、幾度も打ち切りとなっている。これは作家や作品の経歴などに関係なく平等に適用され、すでに「リングにかけろ」や「風魔の小次郎」で人気作家となっていた車田正美が長期大河作品として構想した「男坂」が約半年で打ち切られた例は特に有名である。またアニメ化やグッズ化なども行われるほどの人気を博した「聖闘士星矢」や「シャーマンキング」が中途半端な展開で打ち切られた例もある(ただし前者は他誌にて無事に完結している)。

この打ち切り適用の厳しさのため、本誌では10 - 20週前後で終了した短期連載作品が他誌と比べ際立って多い。逆に、読者人気の高い作品が物語を完結させたい作者の意向に反して連載を引き延ばされることも多い。このような漫画家に過度の負担を強いるジャンプの連載体制は悪名高く、一部で「漫画家つぶし」とも揶揄されている。また、週間連載とアンケート結果に対するプレッシャーなどが作家に強いストレスをもたらし、その影響でストーリーや登場人物の発言に不可解な迷走が見られた作品も存在する。

2000年代に入ってからは打ち切り作品の「完結篇」を『赤マルジャンプ』に掲載したり、打ち切りまで一定の猶予期間を与えるなど若干緩和された。ただし、完結編を掲載した作品は打ち切り後にアニメ化された「武装錬金」や、作者の体調面も終了理由となった「べしゃり暮らし」(その後、週刊ヤングジャンプで不定期連載として移籍)など特異な理由がある場合であり、不人気により短期打ち切りとなった場合は行われていない。 また、ジャンプでは新連載作品と終了作品を定期的に同時入れ替えとなっているため、終了までの掲載回数は編成の都合により前後しており、作品の展開的に物語がまとまらないまま短期で終了する事が問題視され、批判は現在も根強い。

掲載順はアンケート結果を元に副編集長がその週ごとの雑誌構成を考慮して決めている[6]。基本的には人気順が掲載順に直接反映され、票が多いほど誌面の前面に掲載される好循環が得られるが、票が少ないほど誌面の後面に掲載される悪循環となっている。だが、「王様はロバ〜はったり帝国の逆襲〜」や「ピューと吹く!ジャガー」など例外的に(ほぼ毎回)巻末に掲載される作品もある。

ただし、単に入稿が遅れただけという場合や、「特等席」と通称される漫画雑誌出版独特の掲載方法の可能性も否定できない。

注)印刷は雑誌の先頭から(カラーページを除く)16Pごとを1単位に印刷されるが、大部数の漫画雑誌の場合、全ページの印刷が完了するまでには数日を要するのが常である。このタイムラグを利用して入稿日を特別に遅らせる、という綱渡り的な手法のこと。当然出版業者からは敬遠されており、その手間から1誌に複数設定されることはまずなく、編集者が経験から印刷のスケジュールを逆算して推定した掲載位置(万一入稿が遅延した場合に後の頁を先に印刷するという、最後の裏技を使用可能な最終限度の位置)に該当作品をあてはめる、という手法が用いられる。一方、営業的観点からいわゆる看板作家は対象とならないケースが多いという。


[編集] 作品のアニメ・映像化
『少年ジャンプ』の人気作品はそのほとんどがテレビアニメ化されているが、かつての『ジャンプ』編集部は作品のアニメ化には乗り気ではなかったと言われる。当時の多くの出版社と同様、現在でいうところのメディアミックス効果には懐疑的で、読者がアニメを見て満足してしまい雑誌や単行本の売れ行きが落ちるのではないかと懸念していたためである。

転機となったのは1981年に放映が開始された「Dr.スランプ」のアニメ化作品「ドクタースランプ アラレちゃん」の大成功である。この作品については在京の複数のテレビ局からオファーがあり、中でも当時編成局長(通常の会社の部長級幹部に相当する)であった日枝久が何度も集英社を訪ねたというほどの、フジテレビの熱烈な要望に集英社側が折れる形でアニメ化を許諾した作品であった。しかし、「Dr.スランプ」アニメがもたらした雑誌や単行本との相乗効果や、これに派生したキャラクター商品による著作権収入は集英社の想像をはるかに超えたものがあり、これ以後集英社は自社作品のなかで特に人気な作品のアニメ化に積極的になった。

しかし近年では少子化の煽りを受けて4大キー局各局で全日帯アニメ枠削減もあって(4大キー局でのゴールデンタイム帯で放送の作品は、2006年10月に枠降格となった「ONE PIECE」を最後に消滅)、テレビ東京系列の放送で、かつ地上波でしか放送しないアニメが増えてきたため、ほぼ全ての作品が事実上の関東ローカル(在京キー局のみでの放送)もしくは五大都市圏のみの放映となり、ローカル局ではほとんど放送できない事態となった(スポンサーがほとんどつかず、アニメの放送自体で予算が割かれることによる。ただしテレビ東京系列の放送の場合は大抵BSジャパンで視聴する事ができる)。

他誌のアニメ化作品に比べて深夜枠で放送された作品は少なく、「BØY」・「BLACK CAT」・「いちご100%」・「DEATH NOTE」・「武装錬金」など、描写がハードなものや放送時にはすでに本誌での連載が終了していた作品が多い。ただし、近年は上記の全日帯アニメ枠削減の影響もあり深夜枠での放送も珍しくない。

アニメ化に際して、そのストーリーが漫画に追いつくと物語の展開を遅らせたり(例として、戦闘シーンの長期化など)、ダイジェストやアニメオリジナルの展開で引き伸ばす傾向が本誌掲載作品を原作とするアニメでは特に顕著であり、追いつきに伴って終了となった例は少ない。オリジナルストーリーが長期に渡って展開される作品も多く、これについては特にアニメに対して原作ストーリーの墨守を要求するタイプの原作ファンが度々問題視している。連載中のアニメ化は多くの商業的効果を期待できるものの、その品質を一定以上に保つ事、ファン層全般からの支持を維持し続ける事は、皮肉にも読者に人気がある長期連載、長期放映のアニメ作品ほど困難を極める事になる。


[編集] 女性向け同人誌
『少年ジャンプ』の連載作品は、他の少年誌と比べて女性向け同人誌の題材となることが非常に多い。

また、同趣のアンソロジーコミックもオークラ出版など他社から多数発行されており、青磁ビブロスの「聖闘士星矢」を題材にした同人誌アンソロジーシリーズ『メイドイン星矢』は数十冊にわたって発行された。無断で出版されているものについて集英社は訴訟など表だった動きを見せていないが、無論これは、お客様に弓を引けないというジレンマによる。一方、『Dr.スランプ』、『ドラゴンボール』の鳥山明がキャラクターデザインを務めたゲームドラゴンクエストシリーズの関連本が無断刊行された際は、著作権保有者らが抗議を行い販売を差し止めたことがある。


[編集] サブコーナー

[編集] 読者コーナー
ハレハレ笑学校(? - 1980年?)
ジャンプ海賊ワールド(1980年? - 1982年)
ジャンプ放送局(JBS)(1982年 - 1995年)
1レース(半年)ごとにポイント集計し優勝者を決める方式。読者コーナーとしては珍しく、単行本化(全24巻)された。さくまあきら、土居孝幸、榎本一夫、横山智佐らがレギュラーを勤めた。
ジャンポスト(1996年)
地方別のリーグ戦形式であったが、人気低迷で1レースのみ(半年)で打ち切られ、それ以降「ジャンプ団」開始までは読者コーナーのない状態が続いた。
ハガキ戦士ジャンプ団(1997年 - 2001年)
ハガキ紹介に漫画の要素をプラス。シーズンごとに設定されたノルマをクリアできればシーズン終了。出演は井沢ひろし(ジャンプ放送局に投稿経験あり)、石塚祐子など。
じゃんぷる(2001年 - 2005年)
「ジャンプ団」終了の数週間後より、スタッフの一部を変更してリニューアルスタート。井沢、石塚は引き続き出演。「JBS」に近い形式だった。単行本化もされた。
ジャンプ魂(2006年 - )
「じゃんぷる」をリニューアルさせてスタート。井沢は引き続き参加。「じゃんぷる」ではアルバイトだった山下慎一郎が正規メンバー、アシスタントには中川翔子を迎えた(イラストが描けるという事と、「アイシールド21」で声優を務めている事から)中川は2008年に卒業し代わりに後輩・林未紀が加入。

[編集] ゲーム紹介コーナー
ファミコン神拳110番(1985年 - 1988年?)
芸魔団(げ〜まだん)(1988年? - 1992年)
V-NET(1992年 - 1998年)
ジャンG堂(ジャンゲどう)(1998年 - 1999年)
ジャンG塾(ジャンゲじゅく)(1999年 - 2003年?)
チームG59上!!(チームゲコクジョー)(2003年? - )
英雄ゲー+(ひーろげーぷらす)2005 -

[編集] 新人漫画家の募集企画
年に1回行われる企画
ストーリーキング(1998年 - 2005年)
ストキン炎(2006年 - )
ギャグキング(1989年 - 199?年、2000年)
スカウトキャラバン
金未来杯(2004年 - 2005年・2007年)
年に2回行われる企画
手塚賞 - 『月刊少年ジャンプ』と共同募集
赤塚賞 - 『月刊少年ジャンプ』と共同募集
毎月行われる企画
新人漫画賞(1968年 - 1972年?)
ヤングジャンプ賞(1973年? - 1979年)
フレッシュジャンプ賞(1979年 - 1982年)
ホップ☆ステップ賞(1982年 - 1996年)
天下一漫画賞(1996年 - 2002年)
ジャンプ十二傑新人漫画賞(2003年 - 2007年)
JUMPトレジャー新人漫画賞(2007年 - )

[編集] 愛読者賞
1973年 - 1983年、1997年に行われた。読者アンケートで選ばれた10人の作家が45ページの読切作品を執筆する。掲載する順番はクジで決める。1位に選ばれた作家は海外旅行のプレゼントがあった。


[編集] イベント
ジャンプフェスタ
ジャンプ検定
ジャンプ・アニメツアー

[編集] 日本国外の少年ジャンプ
2006年現在、『少年ジャンプ』は日本国外でも発行され、「ドラゴンボール」・「ONE PIECE」などの名作が翻訳されている。

ドイツ
"BANZAI!" を参照。2001年10月、ドイツの企業カールセンにより創刊。公式サイト(ドイツ語)
アメリカ
2002年11月26日創刊。VIZ Comminucation Inc.(現VIZ Media) 発行。公式サイト(英語)
台湾
もともと、『少年ジャンプ』の台湾バージョンは『熱門少年TOP』(大然出版社)と『宝島少年』(東立出版社、1992年9月19日創刊)の2誌があった。2003年5月、集英社は大然出版社との出版契約を解約し、『宝島少年』に一本化した。

[編集] 週刊少年ジャンプ事件史
本誌が回収されたり、漫画表現の過激さや作者の不祥事により連載が打ち切り寸前、もしくは打ち切りに至ったケースがある。それらの原因となった作品とそれぞれの詳細について以下に示す。これまでに本誌が回収騒ぎとなったのは2回である。


[編集] ハレンチ学園ブーム事件
「ハレンチ学園」(永井豪)が問題となった現象。

1968年の創刊号から連載したこの作品の影響で、全国の学校でスカートめくりなどの「ハレンチな」行為が流行してしまいPTAから抗議が来たが、『ジャンプ』は漫画表現の多様性という名の下に連載を続行。この件に関する限りは、編集部はむしろ権力に負けずに連載を続けたことを誇りにしている節がある(『ジャンプ』30周年の時の特集でそのようなコメントが見られた)。


[編集] 私立極道高校・無断掲載事件
「私立極道高校」(宮下あきら)が問題となった事件。

滋賀県にある実在の中学校名と校章、そして卒業生の名前を無断で作品内に掲載して滋賀県教育委員会から抗議を受けた(この行為はプライバシーの侵害にもあたる)ため、1980年第9号と第10号が回収され、「私立極道高校」は第11号で打ち切りとなった。ストーリーは41話まで連載されていたが、単行本は読切版の1話と連載最初の6話を収録した1巻のみ発売されていたが、事件がきっかけで絶版となった。なお、回収に協力した人には、アドレス帳が送られた。

宮下はしばらくの謹慎期間を経て「激!!極虎一家」で連載復帰。「激!!極虎一家」には極道高校のキャラが多数登場しており、ほぼ「私立極道高校」の焼き直しといっていい内容となっている。


[編集] 燃える!お兄さん・中傷事件
1990年第45号の「燃える!お兄さん」(佐藤正)が問題となった事件。

主人公の担任である教諭が仕事上の失敗から担任を外され同校の用務員をすることになり、それに対して主人公が「先生ではなく用務員になったのだから何をしても構わない」という理屈の元に、その先生にやりたい放題するという内容であった。

この号が発売された直後から「用務員をバカにしている」などの抗議が用務員組合や読者等から殺到し、中傷していたという事態を重く見た本誌編集部はその掲載号を回収するという決断に至った。掲載号を集英社に郵送すると、本誌のマークが入ったシャープペンシルが貰えた。後に発行された単行本でもこの回は不掲載となっている。

なお、ストーリー上では、この教諭が居なくなった理由は「謎の転勤」によるものだったと最終回近くの登場人物のセリフで説明された。


[編集] 世紀末リーダー伝 たけし!・作者逮捕事件
2002年、「世紀末リーダー伝たけし!」の作者であった島袋光年が児童買春の疑いで逮捕された事件。

人気のあった同作品であるが、この事件を受けて同年37・38合併号での掲載を最後に連載打ち切り、単行本も発売中止となった。39号には、その旨を読者に知らせる文面が掲載された。

その後、島袋は謹慎期間を経て青年漫画誌『スーパージャンプ』にて復帰(その際、「関係者に多大な迷惑をかけた」とコメント欄で謝罪)し、絶版となっていた単行本も「ワイド判」として再刊、同作品は『スーパージャンプ』で連載が再開されたのち完結した。


[編集] 関連ゲーム
以下に挙げるのは、週刊少年ジャンプをテーマに扱ったゲームソフトである。

ファミコンジャンプ 英雄列伝(ファミリーコンピュータ、アクションRPG、1988年2月15日、バンダイ)
ファミコンジャンプII 最強の7人(ファミリーコンピュータ、RPG、1991年12月2日、バンダイ)
カルトジャンプ(ゲームボーイ、クイズゲーム、1993年9月10日、バンダイ)
ジャンプスーパースターズ(ニンテンドーDS、格闘アクション、2005年8月8日、任天堂)
バトルスタジアム D.O.N(ニンテンドーゲームキューブ、プレイステーション2,アクションゲーム、2006年7月20日、バンダイナムコゲームス)
ジャンプアルティメットスターズ(ニンテンドーDS、格闘アクション、2006年11月23日、任天堂)ジャンプスーパースターズの続編。

[編集] 脚注
^ 旗日だと、土曜日発売に繰り上げられる。
^ 社団法人日本雑誌協会 JMPA読者構成データ
^ 『まんが秘宝Vol.2 つっぱりアナーキー王』 洋泉社、1997年
^ 「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」(飛鳥新社)pp.158 - 159
^ (ドラゴンボール、北斗の拳のように)人気が出れば、打ち切りとは逆に連載の引き延ばしの対象になることもあるが、引き延ばしもまた作者の意向に反するものであるため、強引なストーリー展開になったり、設定の矛盾が生じたりするなどで作品が破綻しかねないこともある。
^ 「ONE PIECE 47巻」(集英社、2007年 ISBN 978-4088744117)の質問コーナーで尾田栄一郎が読者の質問に回答した内容より

[編集] 関連項目

[編集] 『少年ジャンプ』から派生誌
赤マルジャンプ(『WJ』増刊号)
月刊少年ジャンプ
ジャンプスクエア
フレッシュジャンプ
Vジャンプ
スーパージャンプ
週刊ヤングジャンプ
ビジネスジャンプ
ウルトラジャンプ

[編集] アニメ
東宝
東映
東映アニメーション
ぴえろ
サンライズ
フジテレビジョン

[編集] その他
ジャンプ・コミックス
ジャンプショップ
ジャンプランド
集英社
SCHOOL OF LOCK!

[編集] 関連書籍
西村繁男 「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」
飛鳥新社、1994年5月。ISBN 4870311720
幻冬舎、1997年11月。ISBN 4877285253
創刊から立ち会った元編集長が綴った内幕。
西村繁男 『漫画王国の崩壊』 ぶんか社、1998年3月。ISBN 482110606X
「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」の続編的物語。前作より生々しい内容なので、登場人物は全員仮名になっている。
本宮ひろ志 『天然まんが家』 集英社、2001年10月。ISBN 408780335X
『週刊少年ジャンプ』黎明期の看板作家の自伝。漫画家側から見た『少年ジャンプ』史としても読める。

[編集] 外部リンク




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